自分ヒストリー
About Me
【自分ヒストリー】
Name : 西園寺
Age : Around Fifty
Occupation : Office Worker
■生まれ■
・片田舎の小さな町で農業を営んでいた両親の末っ子として、四十数年前に生まれる。
・両親は休みもなく、朝は夜が明ける前から、夜は深夜まで、ただひたすらに黙々と働く、勤勉な親であった。
・忙しい両親であったことから、子供の頃に家族で旅行に行ったことは、数回ぐらいしかない。
■小学校時代■
・小学生時代はクラスのリーダー的な存在で、小学校 6年の前半は生徒会長を務めた。
・小学校 6年の後半、当時クラスの中でケンカが一番強く、ヤンキー的な同級生から突如、いじめのターゲットにされ、毎日執拗にいじめにあう。
・いじめられるようになった日から学校生活は一変し、地獄のような毎日。
・休み時間にはバイキン扱いされ、私に触った奴が鬼となりバイキンの追いかけっこゲームが始まる。
・またある日には、一人で机に座っていると「手が滑った」とバスケットボールを頭にぶつけられる。
・放課後には体育館の倉庫に呼び出され、男子クラスメイトのほぼ全員からマットの上で毎日のように集団リンチ。
・それでも両親に心配をかけまいと食欲が無く胃液を吐きながらでも、毎朝、重い体に鞭打って学校には通い続けた。
(第一のショック)
■中学校時代■
・中学に進学するといじめていた主犯格の同級生達とは違うクラスとなった。同じクラスには何人か小学校当時いじめていた男子クラスメイトもいたが、環境も変わったことから、全くいじめられることはなくなった。
・今考えると、当時の小学校時代の担任がいじめられていた私に配慮し、いじめの主犯格グループを中学校の同じクラスには入れないように根回しをしてくれたのだろうと思う。
・中学に入ってからは、本来の明るい活発な性格を取り戻し、クラス委員長をよく任され、中学3年の頃には生徒会長に立候補した。
・私は元来、生意気な性格で先生に物申すタイプであったことからも内申点は悪く、担任からは「お前は学力はあるが、内申点が低いから公立トップ高は無理だ!」と言われ、逆に反抗心から地元の公立トップ高を受験するも不合格となり挫折を味わう。
(第二のショック)
■高校時代■
・公立のトップ高は落ちたものの、滑り止めに受けていた私立高(進学校)には合格し進学。ひたすら勉強の毎日で高校生活を終える。
・大学受験は遺伝子工学を学ぼうと受験するも、第一志望の大学にはフラれる。
(第三のショック)
■大学時代■
・第一志望の大学にはフラれるも、地方の国公立大学に合格。
・入学当初は仮面浪人をしながら再受験を考えるも、大学時代に出会った友人やバイト先の人達の人間性に魅せられ、「学歴だけが人生じゃない!」と考え直し、そのままバイトに明け暮れる大学時代を過ごし、無事、大学を現役で卒業する。
・高校時代は勉強ばかりの毎日であった反動もあり、そこそこイケメン(?)の私は大学時代を謳歌し、数多くの素敵な女性達と付き合う。
・就職試験は、主に東京の大手企業を受けた。「就職氷河期」と言われる厳しい時期ではあったものの、複数の内定をもらうことができた。
・生真面目な性格と大学時代の何十社にも及ぶバイト経験から、面接受けは良かったと思う。
・ただ、内定をバンバン取りまくる私をライバル視していた当時同じクラスの同級生からは、ある意地悪をされる。
・某大手生保で大学の構内で面接が行われることになっていた。面接日程の前日、私はそのクラスメイトから面接日程が変わったと聞かされ、当初予定の面接日には大学に行かなかった。
・変更されたと言われた日に行ってみると面接は行なわれておらず、面接は当初の予定日通りに実施されていた。
・クラスメイトの話を鵜呑みにした自分の甘さにも反省したが、このクラスメイトが関西人であったことから、関西人のしたたかさも同時に勉強した。
・後日、「嘘の日をわざわざ教えるなんて酷くないか?」と本人を問い詰めるも「そんな騙されるほうが悪いんや(笑)、競争相手は 1人でも減らさなあかんやん。」とさらっと言われてしまった。
・まあ、別に私は結果、多くの企業から内定を取れたので痛くも痒くもないが、自分でも同じように友人に嘘をついてまで、自分の生き残りを図るかと言われると・・・・。やっぱり、そんな生き方は性格上出来ない。
・世の中には色んな奴がいる。考え方も100人いれば100通り。関西人が皆がそうではないし、純朴な田舎の人でも騙す奴は騙す。ただ、そういう文化で育ってきた人にはそれが当たり前なのだろう。自分は騙す側にはなれないし、ならないが、騙されないよに注意しようとその件をきっかけに心に誓った。
・ちなみにそいつは、身長は高かったが、フジモンのような顔立ちで決してイケメンではないが、軽い関西人のノリで大学時代もモテモテだった。
・就職先もメガバンクのM銀行に行き、今でも年賀状のみのやり取りは行っている。綺麗な奥さんと子供にも恵まれて順風満帆のようであったが、社会人になって暫くしてからは急に老け込んでいる。きっと色々とあったのだろう。。。
■社会人時代■
・私は某大手金融機関に入社、社会人 1年目の地方支店時代も当時の上司に「新人は役立たずで不用品」との発言にちょっとイラっときた私はムカついた表情がつい出てしまったのだろう。上司に「気に食わないなら、辞めれば。屋上もあるから、飛び降りてもいいよ。」な~んて言われた事もあったっけ。
・まあ、でも同僚は先輩も含めいい人ばかりであったことから、真面目に地方支店に3年勤務後、東京の本店に異動。
・通常、金融機関では 2~3年で異動が当たり前だが、勤勉で献身的な仕事ぶり(?)が評価され、約10年間、本社の同じ部署で勤務する。
・その後、何処から聞いたかヘッドハンティング会社からお誘いがあり、転職(別な大手金融機関)。
・転職直後、意地悪な先輩には「中途入社組は、ろくに仕事もしない給料泥棒で困る。俺ら純潔なプロパーとは流れている血の色が違う。」と言われ、またカチ~ン!ときて、毎日夜中までがむしゃらに働き、タクシーで帰る日もあった。
・当時の役員からも評価され、自由に仕事が出来たことから、複数の新規業務を 0 から、立ち上げ会社からも評価され、そこそこのポジションへ。
・前職時代に美人で家庭的な女性と結婚をしていた私は、子供にも恵まれ、郊外に庭付きの戸建てを取得する。
・転職から7年後、仕事も充実し順調に出世もし、ペットの小型犬に癒される毎日を過ごしていたが、突如、その幸せも一変する。ある日、異動で来た役員の上司にパワハラを受けることになる。
・毎週の朝会や毎月の月次ミーティングでの陰湿な人格否定をされる。
・出身大学でその人の価値を決め付ける上司であることから、東大卒以外は全て「インテリジェンスに欠ける」とのこと。
(ちなみにそういうパワハラ上司は関西の国立大学出身で、極度の学歴コンプレックスの塊)
・また、そのパワハラ役員は私や他の部下の出張当日に新幹線に電話してきて「今すぐ出張をキャンセルしろ!」と無理難題を言ってきたり。
・事前に説明をしっかりしても、痴呆症なのか口癖はいつも「聞いてない!」とちゃぶ台を毎回のようにひっくり返して事を荒立てる。
・顧客とのランチも急に店が気に食わないとランチの直前に「俺は聞いてないから行かない!」と言い放つ等など。
・例を挙げたら枚挙にいとまがない。このパワハラが 6年間も続いた。
(第四のショック)
・ただ、救われたのは私も含め部下全員がいつもダメ出しをされることから、攻撃されるのが私 1人では無かったこと。
■現在■
・その後、パワハラ上司も異動でやっと行き先が決まり、居なくなり、何とか耐え抜いた私は、今では部長に昇進。
・現在では、まともな本当の意味でのインテリジェンスな理解のある役員に変わり、再度、自分の自己実現のため東方西走する毎日。
・ただ仕事は当然、成果もセットだが、やりたいようにやらせてもらえている事の有難さをつくづく感じている。
・プライベートでは、海や山に築古ではあるものの、いくつかの別荘を所有しており、休日には海を眺めながら気分転換を行う暮らしをしている。
以上、生まれてから4回の人生の中での大きなショックを経験した。その他にも数えきれない程、精神的にダメージを受けたこともあったが、ここでは割愛します。